『青春の逆説』とオードリー若林

毎週、「オードリーのオールナイトニッポン」を聴いている。もちろん二人とも好きなのだが、特に若林が好きだ。漫才のキャラクターから「春日=変人」であるというイメージが強かったのだが(というか事実なのだが)、若林もまた別のベクトルでいわゆる「変」な人であると知るきっかけになったのは「オールナイトニッポン」と彼のエッセイだった。高校生くらいの時に初めて読んだそのエッセイには、「スタバで『グランデ」と頼むのが恥ずかしい」「食レポでうまいと分かりきっているものを食べて『うまい』と言いたくない」といったものすごく身に覚えのある不満を抱え、先輩や友人から「自意識過剰」と呆れられながら社会に適応していく日々が描かれていた。そのエッセイを読んでから、僕は若林正恭という人に勝手な親近感を描くようになった。

『ナナメの夕暮れ』は、連載エッセイをまとめて書きおろしを追加した書籍だった。「書くことがなくなった」と言う理由で一度休載を申し出、再開後の原稿がまとめられたその内容は、相変わらず些細なことに悩んだり怒ったりしてしまう若林の日常に変わりはなかった。しかし、そこには休載以前には薄かった「諦め」の空気が明らかに漂っていた。身近な人間との別れがその理由であると、若林は自ら分析していた。先輩芸人や父親だけでなく、出演番組やお気に入りの定食屋も自分の人生からいなくなっていく。なんども他人から言われているはずの「気にしすぎだよ、誰もあなたのことをそこまで気にしてないよ」という結論に、今度はようやく自分で近づいていく。

 

涙が止まらなくなった。もしかしたら読みながら流していたカネコアヤノの曲に涙していたのかもしれないし、聴きながら読んだから泣けたのかもしれないし、読みながら聴いたから泣けたのかもしれない。それはどうでもいい。太宰治の本を読んだ時も、ブルーハーツを聴いた時も「これは自分のことだ」と思った。そんな中学生の時と同じ気持ちになって、中学生の時よりずっと激しく泣いた。

 

インスタ映えを気にしすぎているやつはバカだ」というような笑いは、今やありふれたいじり方になっている。「インスタ映え女子してきた笑笑✨」なんて自虐なんだか予防線なんだかわからない文言をつけて、結局いじられ始める前と同じことをしている人もいる。自称「コミュ障」、自称「陰キャラ」が仮想の「クラスの真ん中にいるやつら」を敵視したりモノマネしたりして、仲良くなったりSNSで拡散されたりしている。俺からすればお前らこそ「クラスの真ん中にいるやつら」なんだよ、と言う気力ももうない。自分も誰かからそういう風に言われているんだろうし、自分がいつも日陰者でいたいなんて考えるのはおかしいことだ。ここ数ヶ月でそんなふうに考えるようになって、心の少しやわらかくなった部分に若林の言葉がナナメに突き刺さったのだろう。

 

今日、読むように薦められていた織田作之助の『青春の逆説』を読み終えた。主人公は「自意識過剰で不器用」。他人からはそんな小説を薦められ、自分では若林のエッセイを選ぶ。決して個性的とはいえないひねくれ方をしている人間であるとよくわかった。中学生や高校生の頃に読んでいたら、織田作之助の描く主人公にものすごく感情移入してしまったり、あるいはもう見たくないと目を背けてしまっていたかもしれない。しかし、いまの心境では主人公に寄り添うような気持ちで読むことができた。「気にしすぎだよ、誰もあなたのことをそこまで気にしていないよ」と否応なく知らされるところで小説は終わった。「青春」はそこで終わりだということなのか。それは若林の言う「『自分探し』の終わり」という言葉と同じイメージの結末だった。

 

   自分の生き辛さの原因のほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。

   その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定的な目線”をやめるしかない。

 

こんなことがエッセイには書いてある。みんなにとっては当たり前なんだろうな。最近気付いたから泣けて仕方なかったよ。同時に「気にしすぎだよ」と言う側の人、いわば「明るいほう」の人である春日を羨ましいしありがたいといえる、二人の関係性もすごく良いなと思う。10年間二人でラジオをやり続けるオードリーのコンビとしての美しさは、やっぱりミックとキース、ヒロトマーシーに並ぶと思うなあ。ラジオではずっとくだらない話をゲラゲラ笑いながらしてるだけで、こんなエッセイの匂いはほとんどしないところもいい。

 

 

なお、若林は自分のような人間を「精神的な童貞」と呼ぶ。『青春の逆説』の主人公は、容姿端麗、頭脳明晰でありながらも精神的、そして肉体的にも正真正銘の童貞だった。文学作品の主人公はやたらにモテまくり、むやみに性交渉を重ねるのが常である。『青春の逆説』はそういった点でも好感の持てる主人公であったことを、明らかに蛇足だろうが付け加えておきたい。(むりやり女の人の手を握って「ものにした!」とか思うんだよ)