ミーハーなので芥川賞受賞作を速攻で読みました

破局

破局




  気になるな、読みたいなと思っていたら芥川賞を獲ってしまった。ミーハーと思われるのが嫌だから読まない、と文庫化まで待っているのももったいないので、受賞発表翌日に買いに行く。帯に「芥川賞候補作!」の文言。もう獲ったよ、と思いながら持って帰り、開いてみるとかなりスルスル読める。インタビューで本人が語っていたのだが、余計な修飾語を意識的に省いているらしい。「ニヒリズムの極北」と称されていたが、なるほど確かに、ハードボイルドっぽい淡々とした読み心地だった。

  作家本人の風貌や会見の態度から「いけ好かない」感を強く受けたが(なんかかっこいいんだもん)、作品の内容も大して何にも心が動かないけど二人の女からモテてます、求められすぎて困ります、といけ好かないと言えばいけ好かない。しかし、主人公はラガーマンで、強靭な肉体と公務員試験を難なくパスする社会適合者っぷり(宣伝文句にある「リア充」「キャンパスライフ」の表現はダサい)で、そうした対外的なステータスと理屈っぽくて気持ち悪い内面描写のミスマッチが面白かった。作家自身はヒョロヒョロで、スポーツをしていたなどという経歴は確認できないのだけど、どこかに取材したものなのだろうか。

  一人称の物語ではあるが、主人公は自身の感情に対しても無関心、もしくは把握できていない様子で、妙に淡々としている。かなり変人度合いが強い男に思えるが、それをことさらに強調したりもしない。自称変人にろくな奴はいないし、大体はつまらない凡人がそういうアピールをするものだからとても納得いく変人っぷり。作家本人がそうした美学に基づいてこういう演出をしているのか、単に本人が変人なのか、会見での態度について「作品のイメージを損いたくないからはしゃぐのはおかしいと思った」と語っていたところからみるに、意図的なプロデュースではないかと思う。

  徹底的なディスコミュニケーションと言うべきか、主人公以外の人物も何を考えているのかわからない。二人のヒロイン(?)の麻衣子、灯ともに長々と話をする場面があるが、何が言いたいのかさっぱりわからない。小説という形で会話をつまみ食いしている読者には当然のこと、主人公にもそれがわからない。自分のことさえわからないのに、どうやって他人のことがわかるのか。小説自体も誰の思想を明確に語るわけではなく、また登場人物たちも心情を吐露するようなことはしない。唯一の例外として、友人の「膝」(なんだこの名前)だけが、やたらに熱い思いを語りまくる。が、かえって薄ら寒いというか、軽薄な印象さえ与える。他人にわかってもらいたいとも思えないし、他人のことがわかるはずもないのだということを構造で訴えているのだとしたら、確かにニヒルだ。スマホSNSの描写は一切ない割に今日的な印象を受けるのは思い込みだろうか。

  マッチョなラガーマンというステータスと内面描写が相反するところに面白みを感じると先に書いたが、勝手に線を引いて「悩みがなさそう」と分類してしまう人にだって、当然内面の葛藤があっておかしくない。一人称視点で描かれるからこそ奇妙な人物に写るだけで、我々の身近にいるスポーツマン(ないし「陽キャ」。この表現嫌だけど)だって心の中ではこんなふうにいろんなことを考えているのかもしれない。筋骨隆々、性欲旺盛のマッチョマンよりも、内面の混乱を外に漏らし、その時々の感情の乗り物になってしまう自分の方こそ動物っぽいのかもしれない。作家本人もシュッとしたサブカルイケメン、演技派俳優みたいな雰囲気なのに、こんな気持ち悪い小説を書くのか、やはり他人のことなんてわからない……という結論に着地させられてしまうあたり、「ニヒリズムの極北」は言い得て妙なのかもしれない。       

  『コンビニ人間』『限りなく透明に近いブルー』をフェイバリットに挙げていた遠野遥さん、僕も似たようなの好きですし、『破局』も楽しく読めました。