その声は

2020年7月6日


  「マクドナルドの女子高生」という言葉は、特にSNSで語られる作り話の定番になっている。元々は、風刺的な内容のいかにもウソ臭いツイート等に頻出していることを面白がられてネタにされていたはずだが、今では「マクドナルドで女子高生と老人がエネルギー弾を撃ち合って」とか「マクドナルドで女子高生がドイツの友人と拍手喝采」のように、初めから丸っきりウソである前提でいかにシュールな内容にできるか、という大喜利のお題のようになっている。こうなると、特定のユーザーにのみ通用するスラングや頻出ワードのコラージュになってしまい、稚拙な「ナンセンス」というかノーセンスのオンパレードで全く面白くない。


  「このご時世」と言うだけで通じてしまうくらい、社会全体が明らかな異常事態(緊急事態はもう終わり)の中にある。図書館や自習スペースもその煽りを受け、今も着席しての利用は制限されている。僕は自室で集中するのが難しいので、そうしたただ座っていても良い場所が使えないのは困った事態だ。パソコンを使おうとしなければ河原のベンチや寺社の境内でも事足りることに気づき、たまに散歩を兼ねてそうした場所に出かけていたのだが、次第に厳しくなる日差しや増えていく虫、あるいは一日中降り続く雨など、季節の移ろいとともにストリートライフの障害が増えてきた。そこで、新天地を探すことにした(徒歩なので運動も兼ねている)。収入が大幅に減ったのもあり、お金は節約したい。しかし家でも屋外でもないところで腰を落ち着けて作業ないし読書がしたい。


  安くて長居できるお店として、まず浮かんだのはおなじみのマクドナルドだ。100円でコーヒーなりシェイクなりを買い、何時間か店内に居座ることは可能だが、なにぶん騒がしかった。それこそ高校生、どころか中学生までいる。学校は休みか短縮授業なのだろう。それに加えてご老人の集団が集まっていることもある。爆音で笑うティーンガールズとおばあちゃま方は幸せそうで、先行きの見えない不安を忘れ去れてくれるかもしれないが、イヤホンを貫通するくらいの音量になるとこちらが不幸になってしまう。価格が安すぎるのもあってか、店舗によってはオラオラした人たちが多い場合もある。中学生だろうが高校生だろうがもうだいぶ歳下だと思うが、未だにヤンキー風な集団は怖い。こうなると読者どころではない。でも、マクドナルドの店内で流れている音楽は良かった。


  今はドトールに落ち着いている。いつも275円のアイスコーヒー(M)を頼み、近くに誰もいなさそうな席に座る。人と人との距離を空けるべし、というウィルス対策。騒がしくない場所で集中できるように、ストレス対策。しかし今日は出会ってしまった。ドトールでコーヒーを飲んでいる女子高生。ウソではない。


  二つ隣のテーブルに、女子高生が二人横並びに座っている。僕も二人も、壁を背にした席に座っているので顔はよく見えない。覗き込んで通報されても嫌なので、あまり見ないようにしていた。しかしその話は嫌でも耳に入ってきて気になってしまう。どうやら二人は美術部らしいのだが、部員の悪口もほどほどに、「どんだけ前世で徳積んだらローラの家の飼い猫になれんねん」とか、「学校でツイステ流行らせたの誰やねん、私がAKIRA布教しても誰も見いひんのに」とか、「しょうもないストーリーばっか上げんなやこいつ」とか、なんだか気持ちがわかるような話が続いている。卑屈なユーモアと、でも自分の趣味はイケてるぜ、という自負。二つ隣のテーブルに座る僕は、未だに女子高生と同じレベルなのかもしれないと思った。


  よく喋る方の子がヒートアップし始め、もう一方の子がうんうん、と相槌を打っている。聞いている方の子も嫌々付き合ってあげてる、という感じでもなく楽しんでいるように聞こえた。が、実際は違うのかもしれない。男性から見る女性と、女性から見る女性の像はしばしば食い違っている。どれだけ共通認識にしようとしても、限界はあるのだろう。「男は騙されるけどああいう女はクソ」みたいな話はやはり盛り上がるのだろうし、「人による」と切り捨ててしまうのも野暮な気がする。その場の誰かが傷つくわけでもないなら、男と女の違いくらい話題になっても良いんじゃないか。二つ隣のテーブルの二人も「女の言う『かわいい』なんか信用ならん」と、こすり倒されてビリケンさんの足くらいピカピカに光っている話をしている。盛り上がる話は何回もこすれば良い。落語もDJもこすりまくりだ。コマゲン。実際は「男の言う〇〇と同じくらい」ともう少し下品な表現もされていたのだが、名誉のためにカットした。


  彼女たちが(というかヒートアップしている方の子が)話している内容は、要するに「スクールカースト上位」とか「陽キャ」とか言われるような同級生たちへの嫉妬や恐れで、それは僕も未だに引きずっている感情だった。我々が陰キャ/陽キャなどというしょうもないカテゴライズに拘泥しているうちに、眩しい人々はどんどん前進していってしまうのだぞ、クラス全員AKIRA大好きで、インスタのストーリーも「しょうもなくない」やつばかりを上げていたら、それはそれでつまらないんじゃないか?と言いたくなったが、さすがにやめた。彼女たちが「山月記の虎は陰キャ」と突然、いかにも放課後の高校生が言ってそうなことを言う。虎にもなれない男は、二つ隣のテーブルで本を読んでいる。


  よく喋る子が、あくまで陽気な様子ではあったが「同じ歳くらいの人の上手い絵は見られない」と言った。もっと歳上の人ならまだしも、歳が近い人の絵は自分と比べてしまってしんどい。そうかぁ、そこはもうあんまり共感できなくなってきたかもしれない。最近、「十代の天才コンプレックス」のようなものは克服しつつある。カツオやワカメはおろか、越前リョーマも玄野計も黒崎一護もみーんな歳下になった。「鬼滅の刃」「青のフラッグ」「呪術廻戦」ぜーんぶ主人公が歳下になった。そもそも「少年」ではないけど、未だに少年ジャンプ大好きだからすぐジャンプで例えちゃうもんね。今なんかビリーアイリッシュ18)のTシャツ着ちゃってるもんね。


  これは成長なのか諦めなのか、わからない。多分どちらも正解で、どちらでも思いたいように思っておけば良いのだろう。氷が溶けて、アイスコーヒーがだいぶ薄くなってしまった。僕がビリーやドトールの女子高生たちと同じ歳の頃にも、二つ隣のテーブルには虎もどきが座っていたのだろうか。声はかけたりせずに、黙って薄いアイスコーヒーをすすっていたのだろうか。キモーい。


ボビー・フィッシャーを探して (字幕版)

ボビー・フィッシャーを探して (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
歳下の天才コンプレックス刺激映画。今なら観られるけど。